8.19 月

午後にドラッグストアでコーヒーとアミノバリュー龍角散とガム買った。
あと試験が名古屋であるので高速バスとホテル予約した。
なんかすごい雨が降ってきた。涼しい。
働いているといろいろストレスをくぐりながら日常を過ごすので酒を飲んだりタバコを吸いたくなったりするということは言える。だから働いてた方が運動になるということも言えるけど、酒やタバコを避けたかったら働かない方がいい、とも言えるわけである。
ニートと言えば松本零士の「聖凡人伝」という漫画をKindleで全巻読んだことがある。すんげえダラダラした漫画でもあるけど、何か不思議な魅力のある漫画なのである。主人公は自殺するところから生還し、自殺者が続出するアパートに「自分は自殺しないから」という理由で居所を確保する。話がことごとく飲酒とセックスと自殺者とたまのバイトで埋められてるような漫画なのだが、そこがいいのだ。

8.17 土

普通の仕事の日。
数学とかやっていた。
酒を飲むと肝臓に来るのか疲れっぽくなるので酒は控えている。
トランプ大統領グリーンランドを買い取るとかいう話があるようだが…
そろそろ暑さも落ち着くか?
Kindleで買った小熊英二の本は統計データ方面の記述がずっと続くのでうんざりしてしまった。

8.14 水

床屋行った。
ヴァージニア-ウルフの「波」っていう小説読んでるが、あの辺の作家の中では一番おすすめかもしれない。ウルフは「灯台へ」「ダロウェイ夫人」なんかも読んだけど独特な叙情性がある。構造的にも複雑なんだけど、雰囲気を味わうこともできる作家。「オーランドー」も買ったんだけどまだ読んでない。
ロバート-サーヴィスという学者のロシア革命の本も読んでいる。山形浩生が「トロツキーロシア革命史なんかは読むのはかなりの苦行だ。こっちを読んだ方がいい。」と言っていた本。

8.13 火

台風が来ているらしいな、超大型のやつが。
今日も大してかわりばえのしない一日だった。まだまだ暑いし。

読書、というとわりかし小説読む人が多いような気もする。で、小説とかを読んでいると作者の持つ美意識に浸れれば浸れるほどいいのではないかと思うようになるわけである。
だが美意識にしびれているような脳というのは一種の薬物依存症みたいな状態なわけで、それはあえて言えば脳がバカになっているのではないのか?と思うのである。
有名な小説家の作品を読むのが悪いと言うわけでもないが、小説というのはそもそも嘘八百なわけで、ある意味現実に匹敵するような分厚さを持った嘘八百であればあるほど高評価されるというような価値観もある。
だが冷静な目で見て、ほんとにそんなのが価値があるのか、と思う考え方が確実に必要なのだと思う。
小説にしても一応芸術と言えるわけで、それははっきり言って「読者の身体反応」で評価の高低が決まるというわけである。
韻を踏んでいる文章とか構文的に複雑な文章、話全体の複雑な構造とかはつまるところ身体の反応で評価されている。韻を踏んでいるなんかは心臓や呼吸器の反応として必然なんだからすぐわかるし、複雑な構造とかは人が世界をどのようにとらえているかというシステムに関わってくる。それにしても身体性に依拠しなくなったらもう芸術としての望みは薄くなるのである。だからこそジョイスのダジャレ文章や古典や歴史や都市理論的な土台のある作品が高評を受けると言える。
それにしても、そういう身体反応的な美意識ばかりに溺れる人ばっかりにこの世がなったら立ち行かないだろう。ナボコフの作品なんかも作品内部の解釈しようと思えばあれこれ解釈できる作品内の構造の複雑さが魅力であって、ゆえにナボコフ自身「歴史的作品の社会的背景を探る読み方などつまらない」という感じのことを言っているわけである。
しかしそういう作品の美意識至上主義みたいなのは頭を悪くする、というか読者の知性の可能性を阻害すると言えると思う。何もくどくどしく説明しなくとも、少ない量の有名作品の身体反応的な魅力にはまって何度も何度も読んでいる人がそれほど頭いいように見えるか?と聞けば分かる話だと思う。そういう身体反応的な読み方だと視野がどうしても狭くなる。そこを文章が散文的で実につまらんと思うような批評家、書誌学者、文献史学者に突かれ放題に突かれて蒙を啓かれるということが本当にしょっちゅうあるからな。